新宿簡易裁判所 昭和60年(ハ)2082号 判決 1986年10月07日
原告
渡辺武男
右訴訟代理人
小野幸治
被告
柴宮和子
主文
一 被告は原告に対し、別紙物件目録記載の貸室を明渡せ。
二 被告は原告に対し、昭和六〇年九月一日から右明渡ずみまで一か月金二万二〇〇〇円の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 この判決は、主文第二項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主文第一ないし第三項と同旨
2 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は被告に対し、昭和四四年七月六日、別紙物件目録記載の貸室(以下、本件貸室という)を期間二か年、賃料月額九〇〇〇円、賃料は毎月末日までに翌月分を持参して支払う等の約定で賃貸し(以下、本件賃貸借契約という)同日、本件貸室を引渡した。その後、本件賃貸借契約は二か年毎に更新され、昭和五八年七月六日付けで、賃料月額二万二〇〇〇円と改め、期間を昭和六〇年七月五日までの二か年として更新された。
2 本件賃貸借契約では、本件貸室の使用方法等について賃借人は、「貸室内において風紀衛生上、若しくは火災等危険を引起すおそれのあること、又は近隣の迷惑となるべき行為其の他犬猫等の家畜を飼育してはならない」(本件賃貸借契約書第七条)旨の特約があり、又、賃借人が右特約に違反したとき、賃貸人は右賃貸借契約を解除することができると規定されている(同契約書第九条)。
3 然るに被告は、以前からみやぎの荘(以下、本件アパートという)内の本件貸室及び右アパート二階廊下等において、毎日のように猫に餌を与え、このため、同アパートには数匹の猫が終始居つくという状況となつた。
4 そのために、本件アパートには猫の抜け毛が散らかり猫の足跡などで右アパートが汚れるなど、衛生上極めて大きな問題を生じたほか、猫の鳴き声等に対し、同アパートの他の入居者から苦情が出るなど、近隣に著るしい迷惑を及ぼしている。
5 原告は被告に対し、数回にわたり猫に餌を与えることを中止するよう要求したが、被告はこれを改めなかつた。
6 右3ないし5の被告の行為は、明らかに前記特約に違反(用法違反)し、そのため、賃貸借契約における信頼関係を破壊するものである。
7 そこで、原告は被告に対し、昭和六〇年八月五日到達した書面により、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたので、本件貸室に対する右賃貸借契約は同日の経過により終了した。
8 よつて、原告は被告に対し、本件賃貸借契約終了に基づき、本件貸室の明渡と右契約終了の後である昭和六〇年九月一日から右明渡ずみまで、一か月金二万二〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1、2の各事実は認める。
2 同3、4の各事実は否認する。
3 同5の事実中、原告主張の要求を一度受けたことは認めるが、その余は否認する。
4 同6は争う。
5 同7の事実中、原告主張のとおりの意思表示があつたことは認める。
6 同8は争う。
三 被告の主張
被告は、東京法務局に対し、昭和六〇年七月分から同年一一月分までの本件貸室の賃料を供託した。
四 被告の主張に対する認否
被告主張の供託の事実は認めるが、供託された金員の性質は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。
二同3ないし5について
1 <証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
2 被告は、昭和四四年七月六日、本件アパート二階の本件貸室に入居したが、昭和五〇年頃から付近の野良猫に餌を与えるようになり、右貸室前の二階廊下又は本件アパート敷地内の同アパート西側玄関入口前の階段ないしは右階段下のゴミ箱付近で、一週間に二、三回の割合で、ソーセージや煮干などの餌を与えていること、このため、同アパート南側空地や同西側非常階段の上などには、野良猫が一度に五、六匹も集まるようになり、特に発情期には多く集まるようになつたこと、猫には、餌を与える人の顔などを覚える習性があつて、被告が外出から戻ると猫が被告の足許にまつわりつき、被告の後について二階へ上つていく程であること、夏には、被告が自室出入口のドアを開けておくので、野良猫が自由に出入りすることもあつたこと。
3 右のように、野良猫が本件アパートに居つくようになつたため、アパート二階廊下は猫の抜け毛や足跡、餌の食い散らかし或いは嘔吐物、糞尿などで汚れ、アパート廊下等の掃除は、原告の長女渡辺朱美が週二、三回行つているが廊下は猫の抜け毛が舞い上つて口に入るなど気持が悪く、本件貸室前の廊下は猫の毛の油などでモップでふいてもなかなかその汚れが落ちず、猫の通路となつている二階廊下西側の高窓下のコンクリートの壁は、猫の足跡が付着してその汚れが落ちないような状況であること、又アパートの玄関に入ると猫独特の臭気が漂つており、二階廊下やアパート南側空地に猫が脱糞排尿をするので臭く、それに蠅がたかつていたり、時には同廊下にねずみの死骸が転がつていたりして不潔で衛生上問題であること。
4 更に野良猫の鳴き声がうるさく、夜には猫が二階廊下を駆けずり回る足音や餌を転がして遊んでいる物音などがうるさく、アパート居住者の静穏な生活が妨害されるなど近隣に迷惑を及ぼしていること。
5 以上のようなことで、原告は、アパート居住者から被告が野良猫に餌を与える行為を止めさせるよう何度か苦情を云われたこと、又猫がアパートに居ついていることから、居住者の何人かはアパートを退去しアパートに空室が出るなど原告は経済的損失を受けていること。
6 そこで原告及び同人の長女渡辺朱美は、昭和五〇年頃から再三口頭で、昭和六〇年五月一〇日には文書で、被告に対し、野良猫に餌を与えると本件アパートに居つくことになるから右行為を中止するよう要求したり(被告が右要求を一度受けたことは被告の自認するところである)、又昭和五八年頃には、「アパート内で猫に餌をやらないで下さい」との注意書を本件アパートに掲示したが、被告はこれらに応じなかつたこと、しかも被告は、原告から本件賃貸借契約解除の意思表示があつた後においても、猫に餌を与えていたこと。
7 以上の各事実が認められ、右認定に反する被告本人の供述部分は措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、被告が本件アパートの前示場所において、野良猫に長年にわたり反覆継続して餌を与えていることは明らかである。そして、前記特約には、「貸室内において……猫を飼育してはならない」との文言があるが、特約の趣旨に従つて右文言自体を合理的に解釈すれば被告の右行為は右特約に違反するものといわざるをえない。
三原告が被告に対し、昭和六〇年八月五日に被告に到達した書面で、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。
ところで、賃貸人が、前記のような特約違反を理由に賃貸借契約を解除できるのは、賃借人が右特約に違反し、そのため、賃貸借契約の基礎となる賃貸人、賃借人間の信頼関係が破壊されるに至つたときに限ると解するを相当とする(最高裁昭和五〇年二月二〇日判決・民集二九巻二号九九頁参照)ところ、これを本件について見るに、本件のようなアパートにおいては、前記特約が存在する以上賃借人はこれを遵守する義務があるが、被告は、本件アパートにおいて、野良猫に長年にわたり反覆継続して餌を与え、そのため猫がアパートに居つくようになり、アパートの居住者に前示のような迷惑を及ぼしており、原告やその家族から被告に対し、再三にわたり、アパート内で猫に餌を与えることを止めるよう要求されたにもかかわらず、これに応ぜず、しかも本件賃貸借契約解除の意思表示があつた後においても、猫に餌を与えていたことは前記認定のとおりである。
そうすると、原告と被告間の信頼関係は、すでに失われているものということができるから、本件賃貸借契約は、昭和六〇年八月五日の経過をもつて解除により終了したといわなければならず、被告は原告に対し、本件貸室を明渡すべき義務があるものである。
四原告が被告に対し、本件貸室を賃料一か月金二万二〇〇〇円で賃貸していたことは当事者間に争いがないから、右貸室の賃料相当損害金は、原告主張のとおり一か月金二万二〇〇〇円であることが認められる。
そうだとすると、被告は原告に対し、本件賃貸借契約が終了した後である昭和六〇年九月一日から右貸室の明渡ずみまで、一か月金二万二〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払義務があるというべきである。
ところで、被告の主張する賃料名義の弁済供託について、原告は、供託の事実を認めるも供託された金員の性質について争つているので検討するに、右損害金と右賃料名義の供託ではその性質を異にし、被告の右供託は原告の求める右損害金に対する適法な弁済とはならないと解すべきであるから、被告の右主張は理由がない。
五よつて、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、仮執行の宣言(主文第一項については相当でないからその申立てを却下する)につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官新井徹夫)